バンコクで起業ししたものの、タイ語は難しい・・・日々努力。
ハノイ市内の劇場にて

ハノイ市内で友人と夕食を済ませて、ホテルまで歩いて帰った。
大通りを曲がると、大きな建物がある。
何かなと、たずねて行くと、どうも映画館か劇場らしい。
英語で質問しても、先方がわからないらしく、中へ入るように
ジェスチャーで案内してくれた。

ロビーが暗いので、ホールの中へ入ると演劇をやっている。
残念ながら、ベトナム語はまったくわからないのでどの演劇かは不明だが、どうもフランスの原作「人形の家」らしい。

小一時間、見ていくと男女の出会いと分かれの場面。
やり取りで、場内が沸く場合もあるが、当方は不明。

遅いので、再度ロビーにでると劇場のポスターがあった。

昔はTV、映画など娯楽の少なかったベトナムであるが、
劇場文化を大事に守っていることがわかる。

「人形に家」主な場面


翌日、あるホテルでセミナー会場を見て回ると、どうもセミナーが終わったあとで歌手が歌っている。
歌謡ショーかと聞くと、そうではないらしい。
ベトナム人だけを対象にしてセミナー、講演会を行うと、最後に
歌手によるショーがあるらしい。
昔、商品の宣伝で、庶民を集めるために歌手を呼んで、最後に歌謡ショーをやっていた、田舎のことを思い出した。
日本では忘れ去られた文化活動が、ベトナムでは根付いているようだ。

これらを見ていくと、セミナーなど最先端の情報を提供するにも
庶民の心をつかんだ手法を大事にしていることがわかる。

では、豊かさとは何だろうか?
所得と栄養カロリーから、貧困を定義したインド経済の分析手法もあるが、数字で出てこない、豊かさを見つけることも旅の楽しみ。


セミナー終了後の余興に歌手を

ターミナルビル

9月からオープンしたHCM空港のターミナルを
歩いてみた。
 駐車場のスペースは未だ余裕があるが、将来
自動車の利用が増えるとどこまで対応できるか。
現在は短時間の駐車なら回転で溢れる事は無い。
 エレベータの動いていないものもある。テスト中とでも
いえるのか。
 館内に入るには、航空券が無いとは入れないので
暫くは人手の無い空間になる。
 レストラン、ショップもまだ空いている。
 タイのスワンナプーン新空港(年間4500万人)
とは利用者が大幅に違うので、比較するには無理がある。

 しかし、ベトナム経済の成長の勢い違う。
 近い将来、この空港では狭いという時期が来るかもしれない。


HCMの新しい空港ビル

こんな田舎でも、観光バスで

食事をしている1時間、休むまもなく包丁が動いていた


バンコクから、東北100kmにナコン ナヨックという町がある。
一時、バンコクの交通渋滞がひどくなり、第2副都心構想で候補に挙がった街である。東京に例をとると、つくばといったところ。
今では、時たまサリカの滝や、ゴルフ場に観光客が足を伸ばす程度である。

たまたま、知人の工場を訪問した帰り、そばを食べに行こうと案内されて来たのが、この店。

店構えも古く、テーブルとイスはがたがたの古いまま。
床は、土間。
ところが、店の前には人が並ぶ。
われわれ10名が訪問した際には、どのテーブルも人で一杯の状態。
店先で、あひるの燻製をさばく主人の包丁は休む間もない。
1日、12羽を毎日裁くという。

地元の名物料理である。
ミニ観光バスで乗り付けるグループもある。

味は、たれに特徴がある。
中華そば、汁なし、汁ありともおいしい。

次に来るときも昼は、ここにしよう。
60歳からの挑戦

SANITさんと、出会ったのは8年前になる。
元日本留学生で、帰国後は化学を専攻したことから化学関連の通訳をする仕事をしたり、そこで出会った日本人に進められていろんな事業に手を出した。
成功もあるが、失敗もある、という。
Sanitさん


出会った当時は、シルク印刷の仕事をする方と聞いた。その後、ある家電メーカーの社長から頼まれて、バンコクから100kmあまり離れたNakon Nayokに工場を建てて、部品を委託加工をした。最盛期は、200名もの従業員を使った。3ライ(1600平方メートルx3=4800平方メートル)の工場にはバイクが並び壮観だったらしい。従業員のほとんどが、携帯電話を持ち地元では優秀な企業だと褒められた。

ところが、人間万事、塞翁が馬。日系企業の社長が交代するとともに、その仕事は無くなった。当時の機械はすべて撤去して、残るのは工場全体を空調をつかさどるコンプレッサーと空調の配管のみ。
従業員を解雇して1年余り、仕事を探していたが、70歳近いある方から、日本企業向けに包装用の紐を編む仕事を誘われた。バンコク市内に数台の機械を置いてやってきたが、中にゴムを編みこむ仕事も受けるようになり、バンコクでは手狭になったため、NAKON Nayokにある空き工場に機械を移設した。

技術者が改良


現在、12台の機械を20台まで増やす計画で、仕事を広げて関連する友人からも協力を得るほどになった。

工場の減価償却も終わり、機械も10年物を再生。
原料は、得意先から安定供給を受けて、製品として毎月コンテナ単位で日本に輸出しているという。田舎のことだから、労働コストも安い。
中国との競争にも負けない、という。

協力者も


工場を訪れたその日は、バンコクから遠い田舎だな、というぼんやりした印象であったが、考えるとSANITさんは今年60歳になるという。
「いつまで仕事を続けますか」
「70歳まで現役ですよ」という。
「仕事は誰か、あとを継ぐのですか?」

たかがゴムひもだが


子供は1男2女。長男は、有名なタレントでもあるが、将来は親父の仕事をついでくれるだろうとのこと。

前に進むのみ

青年とは、年齢を言うのではない。
夢がある限り、いつまでも青年であり、夢を失うと、たとえ年が若くとも青年ではない・・・

永遠の青年に乾杯

注;弊社では、日本のシニア技術者で、海外で働きたいという方を現地企業にご紹介しております。今まで、タイのプラステイック成型、アルミダイキャストメーカーなど、ベトナムでも水処理の会社に日本人技術者も紹介をしております。
海外で起業をする方、技術者として第2の人生を探す方は、ご連絡ください。