バンコクで起業ししたものの、タイ語は難しい・・・日々努力。
60歳からの挑戦

SANITさんと、出会ったのは8年前になる。
元日本留学生で、帰国後は化学を専攻したことから化学関連の通訳をする仕事をしたり、そこで出会った日本人に進められていろんな事業に手を出した。
成功もあるが、失敗もある、という。
Sanitさん


出会った当時は、シルク印刷の仕事をする方と聞いた。その後、ある家電メーカーの社長から頼まれて、バンコクから100kmあまり離れたNakon Nayokに工場を建てて、部品を委託加工をした。最盛期は、200名もの従業員を使った。3ライ(1600平方メートルx3=4800平方メートル)の工場にはバイクが並び壮観だったらしい。従業員のほとんどが、携帯電話を持ち地元では優秀な企業だと褒められた。

ところが、人間万事、塞翁が馬。日系企業の社長が交代するとともに、その仕事は無くなった。当時の機械はすべて撤去して、残るのは工場全体を空調をつかさどるコンプレッサーと空調の配管のみ。
従業員を解雇して1年余り、仕事を探していたが、70歳近いある方から、日本企業向けに包装用の紐を編む仕事を誘われた。バンコク市内に数台の機械を置いてやってきたが、中にゴムを編みこむ仕事も受けるようになり、バンコクでは手狭になったため、NAKON Nayokにある空き工場に機械を移設した。

技術者が改良


現在、12台の機械を20台まで増やす計画で、仕事を広げて関連する友人からも協力を得るほどになった。

工場の減価償却も終わり、機械も10年物を再生。
原料は、得意先から安定供給を受けて、製品として毎月コンテナ単位で日本に輸出しているという。田舎のことだから、労働コストも安い。
中国との競争にも負けない、という。

協力者も


工場を訪れたその日は、バンコクから遠い田舎だな、というぼんやりした印象であったが、考えるとSANITさんは今年60歳になるという。
「いつまで仕事を続けますか」
「70歳まで現役ですよ」という。
「仕事は誰か、あとを継ぐのですか?」

たかがゴムひもだが


子供は1男2女。長男は、有名なタレントでもあるが、将来は親父の仕事をついでくれるだろうとのこと。

前に進むのみ

青年とは、年齢を言うのではない。
夢がある限り、いつまでも青年であり、夢を失うと、たとえ年が若くとも青年ではない・・・

永遠の青年に乾杯

注;弊社では、日本のシニア技術者で、海外で働きたいという方を現地企業にご紹介しております。今まで、タイのプラステイック成型、アルミダイキャストメーカーなど、ベトナムでも水処理の会社に日本人技術者も紹介をしております。
海外で起業をする方、技術者として第2の人生を探す方は、ご連絡ください。
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