バンコクで起業ししたものの、タイ語は難しい・・・日々努力。
久しぶりにチャイナタウンを訪れた

バンコクの歴史を紐解くと、アユタヤ王朝時代は、河口は湿地だ多く、居住する地区ではなかった。また、河川もアユタヤまで入れるほどの大きさであったため、海外との交流する船もアユタヤまで上っていったのである。
昨年の、タイの洪水で報道されたようにアユタヤまでも海抜が10Mもないほどである。
それが、アユタヤ王朝がミャンマーから攻め込まれて崩壊し、その後、タクシン王がミャンマー軍を追い出したときに、バンコクのトンブリに宮城を設けた。その影響か、トンブリには古い寺も多い。

タクシン王朝を、軍事面、経済面で支援したのが、中国からわたってきた華僑だといわれる。
タクシン王には中国系の血が流れていたのであろう。

しかし、王朝は短命に終わった。
それを引き継いだのがチャクリ王朝(現在の王朝の始まり)である。
なぜ、チャイナタウンは王朝に近いのか

チャクリ王朝が、定めた王宮は、今のワットプラケオである。
トンブリの対岸で、チャオプラヤ川が作った中洲にある。
川が氾濫しても土砂が積もるほうで、トンブリのように削られるわけではない。

チャクリ王朝も、軍事、経済も華僑の応援を得たのだろう。

そのためか、王宮からほど近くに市街地が形成された。
それが、現在に至るチャイナタウンである。

明治時代からタイに移住した日本人の商人はチャオプラヤ川沿いに店先を並べた。
歴史ある日系の最初の店舗が集まったのが、チャイナタウンの東、チャオプラヤ川から見ると、
河口に近いところである。

第2次大戦後も、日系企業の駐在員は、タイ語よりも中国語が出来たほうが
商売の成績が良かった、と聞いたことがある。
華人が経済を握ってきたからである。
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